Saren Nagata

PROFILE

1981年千葉県浦安市生まれ

詩から生まれる絵のような書は
唯一無二の世界観で多数の作風を描き出し
コラムや個展などで幅広い年齢層の女性たちに支持される。

それは時に様々な想いを代弁しながら
クライアントワークでもひろがりをみせている。

3歳から筆を持ち21歳で師範免許取得後、フリーへ。

上手下手ではなく、嬉しい楽しい文字デザインをモットーに展開する
「花咲く書道」と呼ばれる作風の一つは
ポストカードなどの雑貨になり、スクールでは生徒が日本全国にひろがる。

その活動は海を越え世界でも。

作品から会話と笑顔が咲くことを心から願っている。

著書「花咲く書道入門」(株)実務教育出版 他多数

 

【花咲く書道と呼ばれるまで。】

青空を飛んでいる鳥を見れば
大雨の日の鳥はどうしているんだろうと
勝手に寂しくなったりする。
秋に葉っぱが紅く染まるのは、恋をしてるから。
小さいころ感じていたことは今も同じ。

女だけの暮らしの中で、母親のように私を育ててくれた祖母。
私のどんな感情も感覚も全て受け止めてくれた存在。
戦争時代を生き抜いた大正生まれの祖母は
私に3歳から筆を持たせ、書道を習わせました。
祖母が喜ぶから、私は書道を続け、いつしか書家を志し
21歳で師範免許を取得します。

想っても想っても
最愛の祖母はどんどん弱まっていく。

病室へ向かう時に花を一輪選ぶことが
唯一の心の拠り所でした。

その絶望的な想い全ても詩にし、書にしていきました。
涙のような淡い儚い、墨を一人で擦っては心を描きました。

いつしかそれが、生きる方法になりました。
寂しさも悲しさも、全部、詩にして、書にしてしまう。
祖母が消えた悲しみも、私は作品にしてしまうのでした。

愛する人を失った悲しみは、あの時の一輪の花のごとく
ただ、ひっそりと今も私の心の中にあります。

でもどんな時も、一生懸命な私を祖母はいつも褒めてくれたから
私はこの道で、永田という祖母の名前を掲げて
書と一緒に生きていくことを決めました。

時は過ぎ、私は母になりました。

大きなお腹の中に、一輪の花が咲いたような想いに包まれました。
この花を私はどう育てていけばいいのだろう。
私は毎日、見えぬ我が子に手紙を書くようになりました。

そして、桜が満開の時に生まれる予定の娘に向けて
日本にはこんな素敵な季節があるよと
今まで描いたことのなかった「季節」や「花」などに
目を向けるようになったのです。

私の詩はガラリと変わりました。
それを表現するには桃色の花を描く必要がありました。
あなたが生まれてくる場所はとても美しいのよ。
筆を握る先にあるのは、娘に伝えたい美しさを描くことだけでした。

花で溢れた私の作品は、知らず知らずの内に
多くの人に知っていただくことになりました。

それが「花咲く書道」となりました。

今、それが雑貨やスクールになり皆さんの笑顔を咲かせていることが
私にはとても不思議で夢みたい、ただ、ただ想うのです。

筆を握り、心の中にある想いを集めて書いてきたことは、ずっと変わりません。
私の作品
それは書にも、絵にも見えると言われます。

でもそんなこと、どちらでもいいこと。
絵でも書でも、お好きなように、曖昧なままでそうぞ。

ただ、好きって想ってもらえたら。

それだけで、きっと祖母は今も喜んでいると想います。
きっと。

永 田 紗 戀

1981年千葉県浦安市生まれ

詩から生まれる絵のような書は
唯一無二の世界観で多数の作風を描き出し
コラムや個展などで幅広い年齢層の女性たちに
支持される。

それは時に様々な想いを代弁しながら
クライアントワークでもひろがりをみせている。

3歳から筆を持ち21歳で師範免許取得後、フリーへ。

上手下手ではなく、嬉しい楽しい文字デザインを
モットーに展開する
「花咲く書道」と呼ばれる作風の一つは
ポストカードなどの雑貨になり、
スクールでは生徒が日本全国にひろがる。

その活動は海を越え世界でも。

作品から会話と笑顔が咲くことを
心から願っている。

著書「花咲く書道入門」(株)実務教育出版
他多数

【花咲く書道と呼ばれるまで。】

青空を飛んでいる鳥を見れば
大雨の日の鳥はどうしているんだろうと
勝手に寂しくなったりする。
秋に葉っぱが紅く染まるのは、恋をしてるから。
小さいころ感じていたことは今も同じ。

女だけの暮らしの中で、
母親のように私を育ててくれた祖母。
私のどんな感情も感覚も
全て受け止めてくれた存在。
戦争時代を生き抜いた大正生まれの祖母は
私に3歳から筆を持たせ、書道を習わせました。
祖母が喜ぶから、私は書道を続け、
いつしか書家を志し
21歳で師範免許を取得します。

想っても想っても
最愛の祖母はどんどん弱まっていく。

病室へ向かう時に花を一輪選ぶことが
唯一の心の拠り所でした。

その絶望的な想い全ても詩にし、
書にしていきました。
涙のような淡い儚い、
墨を一人で擦っては心を描きました。

いつしかそれが、生きる方法になりました。
寂しさも悲しさも、全部、詩にして、
書にしてしまう。
祖母が消えた悲しみも、
私は作品にしてしまうのでした。

愛する人を失った悲しみは、
あの時の一輪の花のごとく
ただ、ひっそりと今も私の心の中にあります。

でもどんな時も、
一生懸命な私を祖母はいつも褒めてくれたから
私はこの道で、永田という祖母の名前を掲げて
書と一緒に生きていくことを決めました。

時は過ぎ、私は母になりました。

大きなお腹の中に、
一輪の花が咲いたような想いに包まれました。
この花を私はどう育てていけばいいのだろう。
私は毎日、見えぬ我が子に
手紙を書くようになりました。

そして、桜が満開の時に生まれる予定の娘に向けて
日本にはこんな素敵な季節があるよと
今まで描いたことのなかった
「季節」や「花」などに
目を向けるようになったのです。

私の詩はガラリと変わりました。
それを表現するには
桃色の花を描く必要がありました。
あなたが生まれてくる場所はとても美しいのよ。
筆を握る先にあるのは、
娘に伝えたい美しさを描くことだけでした。

花で溢れた私の作品は、知らず知らずの内に
多くの人に知っていただくことになりました。

それが「花咲く書道」となりました。

今、それが雑貨やスクールになり
皆さんの笑顔を咲かせていることが
私にはとても不思議で夢みたい、
ただ、ただ想うのです。

筆を握り、心の中にある想いを
集めて書いてきたことは、ずっと変わりません。
私の作品
それは書にも、絵にも見えると言われます。

でもそんなこと、どちらでもいいこと。
絵でも書でも、お好きなように、
曖昧なままでそうぞ。

ただ、好きって想ってもらえたら。

それだけで、きっと祖母は
今も喜んでいると想います。
きっと。

永 田 紗 戀

私の心の中にいつもあるコトガラ

20代にこの仕事をはじめたときの言葉たち

1 私は誰よりも面白い書道家?表現者になりたい
2 私は作品をきっと誰よりも楽しんでワクワクして書いている
3 なんで書道と一緒に歩いているのかいまだにわからない
4 古い作品じゃなくて、今の作品にこだわりたい
5 私はきっと作品を描くよりも言葉を描く方が好きだと想う
6 個展でヒトに逢うために、個展を開くだけ。作品はおまけ。
7 Sarenに助けられてばかり
8 書道のウンチクを語るヒマがあるならばヒトを笑わせたい
9 私は書道以外のことはヘタクソな人かもしれない
10 楽しまないと
11 私が一番好きな”書く”ことは、手紙を書くことだと想う
12 こんな私でよかったらといつも想う
13 こんな私だからこそともいつも想う
14 こんな私でもといつも想う
15 大切なのは筆より腕、高価な墨より波乱万丈な人生
16 私の作品はワタシの言葉と私のカラー、私しか書けないものにこだわる
17 お母さん、お酒が飲める女にうんでくれてありがとう
18 いつまでもどこか、中途半端でいようと想う
19 私らしさで伝統を守っていけると想ってる
20 偉人が書いた書を完璧に臨書しても喜ぶのは書いた私ではない
21 なんで女がテーマなの?と聴かれた。なんでそんなこと聴くの?と想った
22 何をしていても満足がいかない、だから私は書いていける
23 今なら細く長い足じゃなくて、この腕を頂いたことに感謝できる
24 全ては強く弱い、女性のため。自分のため。永遠の追求、エール。
25 本当は肩書きをなくしたい
26 裏方でありたい
27 万能な職人でありたい
28 女らしくありたい
29 激しくても品がある女性(ひと)でありたい
30 「永田紗戀」でありたい